一般受けするのは難しい ― 2006年05月04日 22:45
Unicodeはなんの役に立つのかというと、世界のあちこちで使われるソフトウェアを開発しているソフトウェアベンダにとって内部処理が統一化できるのが嬉しいということが第一義であって、それ以外の人にはあまり関係がないように思います。
ソフトウェアの国際化というのは得てして地味くさい話が多いわけです。言語依存の部分を切り出して別リソースにまとめたりとか、アイコンを差し換えられるようにしたりとか。そういう仕掛けは開発する側 (もっというと、ソフトウェアを売る側) にとっては大事なのだけれども、普通の人にとってはメリットを感じにくい。各地域版の開発コストが下がったりということで間接的には利益を享受しているのですが、一般受けという面ではインパクトの弱さは否めない。
文字符号化に関して言えば、包摂規準の明確化なんていうのもいかにも一般受けしない話ではあります。これはテキストの符号化を真面目にやろうとすればありがたみが分かるのですが、そうでなければウケるどころか理解すらしてもらえないかもしれない。
しかし世の中一般受けする話だけで成り立ってるわけではないので、そういう地味な部分を引き受けてくれる人は絶対に必要です。そして、一般受けしなさそうな話を、一般受けのための迎合をすることなしに、一般受けさせる人というのも必要なのだろうと思います。
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